悪意
教育基本法の「改正」がなされようとしていますね。
批判する側にとって決定的なポイントは、
「国家が個人の精神に踏み込もうとしている」という点。
なんとも思わない側、ないし批判者を批判する側としては、
「国を愛することのどこが悪いの」
「別にこの法律で何かしようって訳じゃないでしょうに」
という感じでしょうか。
常にすれ違っています。
国会の答弁まですれ違いまくっています。
これは共謀罪関連の問題にもある程度共通している。
「会合を開いただけで逮捕される悪法だ」
「いや、別にやましいことがなけりゃ問題ないでしょ」
という具合に。
法律に関しては素人ですが、
これは法律の効果に関して無防備すぎる態度だと思う。
「国家が精神を統制しようとしている」
「いや、別に統制するなんて書いてないでしょ」
この表層的な部分でやりとりするから
お互いに拒否反応を示しあうことしかできない。
決定的な点はこの一枚下にある。
国家が精神を統制しうる可能性がある。
そして統制しないとは書かれていない。
共謀罪に関しても同様。
あらゆる団体に適用できるのではなくて、
あらゆる団体を適用できるという可能性をはらんでいる。
そして絶対に適用されないとも書かれていない。
どうしてそんなに悪いほう悪いほうに解釈するのか、
それは被害妄想じみている、という批判もありうる。
しかしだ。
個人が組織を相手にするときは、必ず、
「相手が悪意を持って自らに対峙してきたらどうなるか」
という可能性を考えて行動しなければならない。
なぜなら悪意ある組織に対して、
個人は圧倒的に無力だから。
そして悪意に気がついたときにはもう手遅れだから。
さらにいえば国家なんてものは、
すでに、常に、ずっと昔から、
国民に対して悪意に近いものを抱き続けているのだ。
政治家は国民を人としては見ていないと思う。