ジョーカー

マークスの山』をいまさら読んで、高村薫ってすげーなといまさら知る。
そんなわけでWOWOWのドラマ(全五回)をチェックしつつ、
設定上の続編にあたる『レディ・ジョーカー』をちまちま読んでいる。
普段はいわゆる「作家読み」的なことはあまりしないのだけど。

それにしても、なぜこんなに男目線で書けるだろうか。
『ゆれる』で見せた西川美和の観察眼も衝撃的だったが、
自尊心や立場、先の見えなさ、先のなさ。
自分ではいかんともしがたい与えられた条件の中で、
それでもやっていかないといけないという状況において
さらにじりじりと締め付けられていくような感覚を
すごく生々しく表現している。

と、書いてみると、
別に女性だってこういう状況はあるのだろうと思うのだが、
でもやはり「男に生まれついて社会的に男の立場でいること」特有の
じりじりとした感じというのはあると思う。
(当然、女性においても別の仕方、別の感覚としてあるのだと思う。)
その「特有」の部分を描いてしまっているのが
つくづくすごいなー、と思ってしまうわけだ。

男性作家で女性のその「特有」の何かを描けてしまえる人っているのだろうか。

マークスの山(上) (講談社文庫)

マークスの山(上) (講談社文庫)

レディ・ジョーカー 上 (新潮文庫)

レディ・ジョーカー 上 (新潮文庫)