じゆう
監視カメラが増え、どこに行っても監視されている状態。
それは「より安全な街づくり」という目的のために配されるものであって、
本来的には別に市民を四六時中監視してやろうということではない。
ICカードやクレジットカードに試用履歴が残ったり、
アマゾンに注文履歴(=嗜好)が蓄積されていくことは、
単に企業がより効率的にマーケティングを行い
さらに多く儲けたいということであって、
それを使って監視社会を構築してやろうということではない。
住基ネットやら国民総背番号制とかも、
基本的には煩雑な公的手続きをより簡便にすることが目的なのだ。
しかしながら、
こうした状況がひどく「気持ち悪い」感じがするというのは
割と広く共有されている感覚なんだろうと思う。
だから「全体主義」とか「監視/管理社会」とか言いたくなる。
しかしそのような反論に対する再反論の方が圧倒的に分かりやすい。
「やましい事がなければ別にいいじゃん」とか
「便利になればそれぐらいは別に構わない」とか。
そう言われるとなんとも言い返しようがない。
でも気持ち悪い。
と、いつもここで思考停止。
と思っていたら、
やはり学者もここに困難を感じているらしい。
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ちょっと現実から遊離することもあるけども。
面白かったのは、
技術が加速的に進化する現状の中で、
古典的な「権力」「監視社会」「全体主義」「人間性」みたいな
比較的わかりやすいワードや思考の枠組みを持ち出してしまうことで、
技術(の浸透)そのものが持つ脅威を
むしろ隠蔽してしまう、取り逃がしてしまうのではないかという指摘。
これはまったくその通りだろうと思う。
ある種の「左派」っぽい言説の胡散臭さやひっかかりというのは、
こういう点への認識の甘さや鈍さにあるのだろう。
あとは余談だが、
マクドナルドの「椅子が硬い」というのは面白い。
椅子が硬いことによって、
長時間の居座りが難しくなる。
店が混み合ってくると音楽のボリュームを上げるという手法も同じ。
人間のどうしようもない身体的な部分に働きかけることで、
より効率的な経営が達成される。
しかもそれは「それ」として意識されることすらない。
結構有名な話なのかもしれないが
知らなかったので目からウロコ。